松本一洋の掛軸などのご連絡をいただきました。
買取品詳細
買取品目 | 掛け軸 | ||
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ご住所 | 東京都渋谷区 | 買取方法 | 出張買取 |
作家名 | 松本一洋 | 買取参考価格 | 8,000円 |
※買い取り価格は当日の価格であり、その価格を保証するものではありませんので予め御了承下さい。
※状態や付属品の有無、買い取り方法などによって価格が変動いたします。
お客様の声
実家の整理の為ご連絡しました。
細かく査定していただき、丁寧な説明までしていただきました。
朝早くのご相談だったのですが、対応していただきありがとうございました。
スタッフから一言
本日は東京都渋谷区へ松本一洋の掛軸などのご連絡をいただきました。
梥本 一洋(まつもと いちよう)
1893年(明治26年)11月29日-1952年(昭和27年)3月9日
明治時代から昭和時代にかけての日本画家。
京都中京区油小路四条上ルで、染色図案を営む家の4人兄弟のうち長男として生まれる。本名は謹之助。弟も日本画家の梥本武雄。家は祖父の代から日本画家を出すことを志しており、父吉次郎も菊池芳文に入門し芳樹と号した。しかし、途中で諦め息子たちを日本画家になるよう教育した。1899年(明治32年)本能小学校入学、1905年高等小学校に進む。1910年(明治43年)京都市立美術工芸学校に進学。卒業した後、1912年(明治45年)京都市立絵画専門学校に進み、1915年(大正4年)に卒業する。卒業後山元春挙の画塾早苗会に入門、一洋の号を名乗る。春挙死後は川村曼舟に師事、同会の重鎮となり歴史画を得意とした。
1915年(大正4年)の第9回文展で「壬生狂言の楽屋」初入選、1919年(大正8年)の第1回帝展で「秋の夜長物語」が入選を果たすと、以降、帝展において常連となった。1927年(昭和2年)の第8回帝展で「蝉丸」、1928年(昭和3年)の第9回帝展において「餞春」で連続で特選を獲得している。これ以降の帝展・新文展では無鑑査となり、しばしば審査員を務めた。一方で、1924年(大正13年)京都府立美術工芸学校教授に就任、翌年京都市立絵画専門学校助教授となり、1936年(昭和11年)から同校教授として1949年(昭和24年)まで後進の指導にあたっている。1943年(昭和18年)には早苗会を解散、新たに耕人社を結成する。第二次世界大戦後は日展において活躍、1949年(昭和24年)に依嘱となり、1950年(昭和25年)から日展運営参事となった。しかし翌年、肺癌により上京区の自宅で死去。享年58。法名は寂常院釈一洋、墓所は寶蓮寺。
古典を題材とした物語絵や歴史風俗画を得意とし、新興大和絵風の作品が多い。
この度は当店へご連絡いただきましてありがとうございました。
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